日本人初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で闘う理由
サッカー韓国代表ベンチで池田が抱いた思いとは?
はじめて韓国代表として日本と対戦し、
「君が代」を韓国のベンチで聞き、迷いながらも
韓国代表とともに全力を尽くす決意をした。
岡田武史や洪明甫といった、
日韓の名将から絶大な信頼を得るフィジカルコーチがはじめて語る、
ロンドン五輪日韓戦の根底にある真実、葛藤、
そして、アジアサッカーの強化が日本サッカーの強化に繋がるという思いを一冊に描く。
十字靱帯損傷で現役を引退した経験を生かすべく、
フィジカルコーチとなった決意や94年W杯のブラジル代表に帯同した経緯、イタリア代表フィジカルコーチを追ってACミランで学んだこと、そして、Jリーグにおける日本人選手の特徴や
フィジカルコーチの置かれている現状を通じて、日本サッカーを強くするための愛のある提言を書き綴る。
奥深いフィジカルコーチングの世界を伝えることで、
多くのサッカーファンの目をさらに肥えたものにし、
サッカー文化の発展という点で非常に意義深い書籍となっている。
池田誠剛(いけだ・せいごう)
古河電気工業からの出向として、91年に東日本JR古河SCのアシスタントコーチに就任、その後、JEF市原ヘッドコーチ兼フィジカルコーチを歴任しながらサンパウロFCでの研修を経て、94年アメリカW杯のブラジル代表に帯同、95年にACミランでの研修を経て、96年に市原のプロ契約フィジカルコーチとなる。97年より横浜マリノスフィジカルコーチに就任。06年には同チーフフィジカルプロフェッサーを務めながら、07年11月から08年3月まで釜山アイパークの臨時フィジカルコーチに就任。08年4月から10年まで浦和レッズアカデミーセンターフィジカルコーチを務めながら、09年より韓国U-20代表に携わり、10年ワールドユースに出場。11年より正式に韓国五輪代表フィジカルコーチに就任し、アジア大会に出場し、翌12年のロンドン五輪銅メダルに貢献。13年より中国・杭州緑城のフィジカルコーチに就任し、同年7月より韓国代表フィジカルコーチを兼任する。
ロンドン五輪の日韓戦で胸に去来したもの
●一章【韓国編】
●二章【日本編】
●三章【中国編】
●四章【日本サッカーへの提言】
●エピローグ
サッカー界に根ざす日韓関係